九鬼神流棒術(尚武局系)史略
藤原鎌足より37代の後裔で、熊野別当薬師丸蔵人隆眞は、延元元年
(1336年)、後醍醐天皇を吉野より救出したる功により、後醍醐天皇より
九鬼(クキ、正しくはクカミ)姓を賜る。
この救出の際、足利尊氏軍と薙刀にて戦うに、薙刀の尖頭の部分が切落と
され六尺の柄の部分のみが残った。隆眞は、神伝の九字を切り、残った柄の
部分の棒にて防戦し、難を逃れた。隆眞、この時の棒の術より工夫し、九鬼
神流棒術を完成した。
隆眞より16代継承者の高松壽嗣源鬼角は、この棒術を木村正治、秋元文雄、辰田安一郎、木葉幸四郎、
佐藤金兵衛、上野貴等に伝えた。
大正8年(1919年)春、九鬼家の庇護の下、第16代九鬼神流棒術宗家の高松壽嗣は同じ石谷松太郎
(第15代宗家)門下の岩見南学(太刀陰流)と共に尚武局を設立し、棒術と柔術を主体に指導を始める。
高松門下の木葉幸四郎は、大正11年(1936年)12月に「九鬼神流武術叢書大日本護身術第一編棒術」と
題する本を出版し、九鬼神流棒術尚武局型の普及に努めた。木葉幸四郎は、武田流合気柔術43世宗家の
大庭一翁に教授し、大庭一翁は武田流44世の佐藤金兵衛に教授した。佐藤金兵衛は木葉幸四郎の師で
ある高松壽嗣より改めて九鬼神流棒術の免許皆伝を授かり、武田流の最高奥義口伝と共に種村匠刀に伝授
した。種村匠刀は、高松壽嗣の最高弟である木村正治からも九鬼神流棒術の免許皆伝を伝授された。